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先に繋がる『活気ある町づくり』を 今 目指します !

町の概要profile

網引町は、安全安心で、フレッシュさが全面に漲る活気ある町を目指しています。

平成26年網引町組織・役員  

網引町の取り纏めの運営役である町三役や各種団体の一覧を掲示いたします。

[網引町三役]
網引町区長   原田久夫
網引町副区長  板井利貴
網引町事務局長 井上典彦





平成26年の網引町世話人一覧(抜粋分)   こちらを参照してください。

網引町人口一覧

  平成25年1月末の網引町の人口は 669名です。
  九会校区では田原町、中野町、繁昌町に次いでの人口です。
  人口構成的には、団塊の世代の昭和22年生まれが昨年一年で20名 65歳になられたため、
  満65歳以上が203名となり、人口構成比の30.3%で 初めて3割を占める事になりました。
  ただ 35歳~44歳の中堅どころの年代の人口も102名と多く、彼らの今後の活躍が楽しみです。
  詳しくは ここをクリックして明細を確認してください(PDF)。

網引町の歴史

◎網引町地名の起こり

 古い時代、西田(西隣りの田原町との間に広がる平野)一帯が沼地であって、住民が網を引き魚を取っていたから網引の名があり、アミヒキがアビキになったと伝わる。
 また一説には、薬師堂(現在は消滅)の像を網で引き上げたから網引と名付けたともいわれている。薬師如来像は現在密蔵院に移されている。

◎氏神八幡神社 -地図-

祭神  応神天皇 大歳神
勧請  永正二年(1505)
由緒  網引村の大工下見六郎左衛門が、永正二年、飾東郡松原村に出稼ぎ中、松原村鎮座の同神が現れ、「汝の帰る処へ行く」とお告げがあり、遂に御神体を盗み出し、背負って網引村に帰る時、後ろより追手迫り、村前で戦い、追手打ち負け、その所に追人の死体を埋め葬ったと伝わる。
 当神社は明治7年村社に加列された。明治29年8月暴風雨で大木が社殿に倒れ大破したので同42年8月改築された。
獅子舞い 明治中期 村の若者が、隣村の加東郡西脇村(現小野市)の獅子舞いを取れ入れたらと相談し、明治24年に始まる。
 13種類の獅子舞があり、中でも一番の呼び物は「谷渡り」で約6メートルの梯子上で獅子が舞う。現在は獅子舞保存会が主催。(昭和48年3月市民俗文化財指定)

◎如意山理智院(周遍寺)  -地図-

開基  白雉二年(651) 法道仙人開基
本尊  如意輪観世音(木座像、身長1尺8寸)
宗派  古義真言宗 本寺 高野山宝城院
 当院は元、密蔵院その他を合し一山を如意山周遍寺と称した。人皇37代、孝徳天皇白雉2年草創で、天正6年(1578)6月、秀吉の軍勢が、別所一族の不落の三木城攻撃の際、周遍寺の南西にある志方の城山が火攻めに遭い7月に落城した。その道中にある周遍寺の僧兵に恐れ火攻めに遭い焼失した。天正年間長く廃寺になっていたが、延宝9年(1681)高田六郎右衛門政恒が再興した。
大正8年5月、線香の不始末により大師堂より出火焼失した。後大正10年大師堂のみ再建した。

◎「はだこ」の地蔵さん -地図-

 網引、東垣内の東端に「はだこ」の地蔵さんが祭られている。「はだこ」とはその地名と思われるが、はだこの地蔵さんと慕われ、特に子供の怪我・病気を治してもらえると、東垣内の子供はこの地蔵さんに見守られて育ったと云われている。
 地蔵さんの側に道標があり「右きしの、みき」「左あお、じょうど寺」とあり、文化14年(1817)の年号と造立した17人の名が刻まれている。

◎針田遺跡 -地図-

 万願寺川右岸、標高33mの河岸段丘上に立地する弥生時代後期(約1800年前)の集落遺跡です。[昭和52年の発掘調査で発見]
調査の結果、地面を掘りくぼめ、柱を立てて屋根を葺く弥生時代の竪穴式住居跡が見つかりました。住居跡は6m四方の隅丸方形をしており、4本の支柱で屋根を支えていたようです。
 針田遺跡は加西市内において初めて調査された弥生時代の遺跡であり、加古川流域における弥生時代を考える上での貴重な遺跡です。
 住居跡は調査後は埋め戻され、現況のまま地下保存されています。

◎お薬っさん(オヤクッサン) -地図-

網引駅から東に約200㍍に小さな祠が有ります。「お薬っさん」と呼ばれています。昔ここには薬師如来を祀る薬師堂が有り、お堂は密蔵院に移されましたが、五輪塔の一部をお地蔵さんとして安置し、町民の変わらぬ信仰をいまも集め続けています。
以前この南側(線路を挟んで)に湧水の洗濯場が有り、多くの町民がワイワイガヤガヤと言いながら洗濯をしながら コミュニケーションを高める場として利用していました。

◎不動ノ尾石棺仏 -地図-

加西南産業団地の南側、旧周遍寺参道の入口の牧草地内ににひっそりと立っています。家形石棺の蓋石の内側に地蔵立像を肉厚に陽刻しています。左手は胸元に宝珠をもち、右手は何も持たずに手の甲を上にして垂らしています。手の甲を見せる印相は地蔵菩薩像では極めて珍しいものです。造立そのものは鎌倉時代中期と思われ、重厚感のある石仏です。
「キーッと鳴る高周波のような強い『気』を感じる」という人も現れています。
こういった古墳の石棺を利用した石棺仏は加西市あちこちに点在し、網引にもここ以外にも八幡神社隋身門入口や密堂院内の阿弥陀石棺仏等 多くの石棺仏が点在しています。

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網引町

〒675-2113
兵庫県加西市網引町791-1
   網引町営農センター内

網引町  板井正和
    


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